バカルディブランドの歴史

ラムの歴史

ラムの言語はラテン語でサトウキビを意味する“Saccharum,Officinarumサッカラム・オフィシナラム”に由来する、と信じられている。ラムは1650年頃のバルバドスに起源を持つと記録されている。最初のうちは、ラムは、「キルデビル(悪魔殺し)」「Rumbullionランバリオン(大騒ぎ)」と呼ばれ、1667年までには単に、「Rum ラム」として表記された記録が残っている。“RUM”は英語であり、スペイン語では“RON”、フランス語では“RHUM”と呼ばれている。

    • ラムはサトウキビから作られ、パプア・ニューギニアで発祥した。そして中国、インド、アフリカやカナリア諸島といった場所へ普及していった。
    • 1493年クリストファー・コロンブスが2度目の航海で、カリブ諸国にサトウキビを伝えた。サトウキビは広がり、すぐにカリブ海の植民地で、世界の半分もの砂糖が供給されるようになった。
    • 1600年代~1800年代ラムは奴隷貿易に重く影響を与えており、西アフリカからカリブ海に船で輸送された奴隷と交換に、砂糖やラムを積み込みヨーロッパに戻るという三角貿易に大きく関わった。
    • 1758年にジョージ・ワシントン(アメリカ合衆国初代大統領)は75ガロンのラムを有権者に振舞った後、ヴァージニア州院議員に選任さた。
    • ラムは常に、海と、特にその世界的な発展に寄与したイギリス海軍と長い結びつきを持っていた。イギリス海軍は船員たちに“ラムの現物支給”を行っていた。
    • ラムは新世界(カリブ、アメリカ)産の最初のスピリッツとして、禁酒法時代(1919-1933)のアメリカ合衆国で壮大な人気を博す。
    • 当時のアメリカ人たちがカクテル等の飲酒を楽しむためには、キューバのようなリゾート地を訪れなければならなかった。
    • キューバのバーテンダーたちは、スムーズで汎用性の高いユニークな特性をもつバカルディスペリオールにインスパイアされ、新しいジャンルのカクテルを開発していった それが、モヒート、ダイキリ、キューバ リブレ、といったカクテルの誕生に繋がった。
  • グロック(ラムの水割り)で盛り上がるイギリス海軍の船員たち

ブランドの歴史

  • 創業者ドン・ファクンド・バカルディ

    1860年代までラムは荒削りで、雑味だらけで、味わうことのできないほどのスピリッツであったため、「燃える水」または「火の水」の意味で、Aguardiente〈アグアルディエンテ〉と呼ばれていた。1862年2月4日。スペインからキューバへ移民したドン・ファクンド・バカルディ・マッソは、他とは違うライトでスムースな、当時のキューバで増えつつあった中産階級の人々の洗練された味覚を満たすラムを造る、というビジョンを持って10年もの研究ののち、キューバ第2の都市サンティアゴにて蒸留所を創業する。
    彼が開発した無色透明なバカルディ・スペリオール・ラムはそのバランスの良さと繊細さによって、カクテルの味わいを支配してしまったり、カクテルの中で消えてしまったりというよりむしろ、その味わいを「補う」という点において、他のスピリッツと異なっていた。この特性により、多くのバーテンダーがバカルディに注目し、それまでジンやジャマイカ産ラムといった強いフレーバーのベースを中心に作られることが多かったカクテル業界に、革新がもたらされることになる。

バット・デバイスの由来
  • 妻ドーニャ・アマリア・ヴィクトリア・モローがドン・ファクンド・バカルディにインスピレーションを与えたのがきっかけで蒸留所の屋根裏に棲みついているフルーツコウモリ〈スペインでは幸運、健康、家族の団結のシンボル〉をブランドのトレードマークとして採用。以来「コウモリのラム」として広く認知されるようになった。スペインでは幸運、健康、家族の団結のシンボルとして知られていた。

  • 1890年ごろ
    1900年ごろ
    1940年ごろ
    現在
キューバから世界へ

さまざまな国際展覧会でメダルを獲得し、BACARDI Daiquiri(1898~)やBACARDI Cuba Libre(1900~)の人気と共に販売数量が飛躍的に増加したため、1910年にバルセロナ工場でのボトリングを開始⇨最初のキューバ生まれの多国籍企業に。

  • 需要拡大によりキューバの蒸留所だけでは生産が追いつかなくなり、海外蒸留所を設立
    ⇨Mexico(1931年)、Puerto Rico(1936年)


  • 禁酒法時代(1920-1933)のアメリカ航空会社の広告。
    お酒が楽しめる隣国のキューバはアメリカ人にとって恰好のリゾート地だった。

    1952-1960年 3度のクーデターによりキューバに社会主義国家が誕生。1958年に政情不安定と世界的な需要拡大を促進するため、バカルディ社の知的財産をバハマへ移動。1960年10月 キューバにあるすべてのバカルディ社の資産(蒸留所、倉庫、傘下だったビール会社、ボトリング施設)が新政府により没収されたため、秘伝のイースト菌とともにキューバを脱出。(キューバにある他の会社もバカルディ社と似たような運命をたどった。) キューバから亡命し、バハマ、カナダ、アメリカ、スペインに新たに工場を設立。
    1966年には本社を英国領バミューダへ移転。

    1979年、世界No1の販売量を誇るプレミアムスピリッツへと成長する。

  • ドン・ファクンド・バカルディ・マッソ Don Facundo Bacardí Masso  1814-1886
    • スペインにてレンガ職人の父親の元に生まれる。その後、兄に付いてキューバのサンティアーゴ・デ・クーバへ移住。1844年に自らの店を設立。妻であるドーニャ・アマリア・ヴィクトリア・モローと共に事業を進めた。1852年、サンディアゴはコレラの流行に続き大地震に襲われ、バカルディ家は数か月の間カタルーニャに避難。戻ってくると店は強奪されており、世界的不況も重なりバカルディ家は破産した。その後すぐに、ファクンドはラムの蒸留を開始。それ以前は質が低い酒だったラムを、バランスの良く高品質な酒として生まれ変わらせた。1874年には社名を「Bacardi and Company」とし、世界各国の展覧会で賞を獲得。1877年にはファクンドは引退し、息子のエミリオに会社を引き継いだ。

  • エミリオ・バカルディ Emillio Bacardi  1844-1922
    • バカルディ創業者の息子であるエミリオ・バカルディ(1844–1922)は、19世紀後半のキューバ独立という混迷を極めた時代に幾多の困難を乗り越え、同社の代名詞であるラム酒の製造・開発に尽力した人物 エミリオは当時スペインの統治下にあったキューバの独立戦争に身を投じ、逮捕・二度の投獄などの辛い経験を経て初の自由選挙によるサンティアゴ・デ・クーパ市長に選出された人物。先代から受け継いだバカルディ社を発展させるため、家族と共に強い信念を持って激動の時代を生き抜いた。

PICK UP
  • エルココ El Coco

    創業時、バカルディ家は蒸留所の前に一本のヤシの木を植えました。このヤシの木は数十年の間、地震災害などの天災があっても残り続け、いつしかそのヤシがある限り会社は安泰という言い伝えが広まりました。1959年にとうとうヤシの木が枯れてしまうと、不思議なことに、その直後にキューバ革命のあおりでバカルディ家の財産は没収され、翌年には会社自体もキューバからの撤退を余儀なくされてしまったのです。この言い伝えは今も引き継がれ、世界中のバカルディ社の工場には、必ずヤシの木が一本植えられているのだそうです。

  • バージニアス号事件 Virginius Affair

    キューバの十年戦争 (1868~78) の際、1873年10月31日アメリカ国旗を掲げて武器をキューバ反乱軍に運んでいた『バージニアス』号を公海上でスペインが海賊船として拿捕。アメリカ人を含む乗組員、乗客53人が射殺された事件。射殺された場所がサンティアゴの蒸留所にとても近く、ファクンドはバージニアス号事件で亡くなった人を敬うために Bacardi 1873 Soleraというラムを開発した。

  • ジョルジーナ Georgina

    1898年米西戦争時、エミリオ・バカルディはキューバの兵士達が隠れている場所の秘密の手紙をもっていた。スペインの兵士達は、手紙を求めてエミリオの自宅に侵入したが、エミリオ家のお手伝いであったジョルジーナが自分の帽子の中に手紙を隠したことによって、手紙は見つかることなく、多くのキューバ兵が救われることとなった。
    プエルトリコの蒸留所敷地内には彼女の名前を付けたレストランが営業している。

蒸留所について

  • 1862年創業後、1936年にプエルトリコ・サン・フアン(San Juan)に建造。
    現在の施設は1958年、カターノ(Cataño)という町に127エーカーの敷地に建てられた世界最大のラムの蒸留所。
    1961年にオープンしたCasa BACARDÍ Visitor Centerは、プエルトリコで2番目に訪問者が多い観光名所となっている。

材料について

  • モラセスと秘伝のイースト菌

    原材料にはサトウキビジュースではなく、ビタミン、ミネラルを砂糖よりも多く含むモラセス(Molasses)を使用する。モラセスにピュアな蒸留水が加えられてMashに、ドン・ファンクンドが開発した“Le Levadura BACARDI”と呼ばれる、バカルディ独自の天然イースト菌株を加えて発酵させる。1日~1日半かけて発酵させることで、アルコール度数が8%~10%の発酵液(Low Wine)を2種類形成する。

  • 並行蒸留プロセス

    バカルディ社ではSplit Processと呼ばれる方法を使用し、発酵したモラセスワイン(Low Wine)を2つに分けて、並行して大型コラムスチルにて蒸留を行う。最後にこれから2種類の原酒をブレンドすることで、バランスと複雑味を形成する。

  • AGUARDIENTE アグアルディエンテ

    Fire Water「火の水」度数70%-80% 1回蒸留。ヘヴィで強い個性があり、アロマとフレーバーが豊かなラム原酒。

    REDESTILADO レデスティラード

    Re-distillate「再度蒸留したもの」度数92.5%-94.5% 5回蒸留。ライトで微かなフレーバーがあるウォッカに近いラム原酒。

  • アメリカンオーク樽での熟成

    アメリカンオーク樽でそれぞれのスピリッツ原酒を熟成させ、スピリッツのフレーバーに複雑味と滑らかさを与える。スペリオールでは12か月以上、バカルディ・エイトでは、8年以上熟成した原酒をブレンドし、バランスと複雑味を形成する。

  • チャコールフィルタリング

    ユニークで、独自に開発した秘伝のチャコールレシピが、製造でプロセスの3つの重要な階段において使用される。(ラムで最初にチャコールろ過を行ったのがバカルディ。)異なった木のチャコールブレンドが異なったフレーバーの混合物を取り除き、バカルディとして好ましくない尖ったフレーバー要素が取り除かれる。スペリオールの場合は、このプロセスで色の除去が行われる。 バカルディエイトでは、ラムを知り尽くしたバカルディマスターブレンダー“Maestro de Ron”によって丁寧に選ばれたチャコールが選ばれる。

RUM PORTFOLIO

    • BACARDÍ Superior バカルディ スペリオール(ホワイト)

    1862年に誕生し、すべてのバカルディの中で最もミキサブルなラム。1年~1年半アメリカンオーク樽で熟成した後、再びチャコールフィルタリング。ライトなボディに、スムーズでドライなテイスト。かすかにバニラやアプリコットのアロマを感じる。甘味と酸味のバランスが必要なカクテルに欠かせないベースとして使われる。ブルーツダイキリ、フルーツモヒート、フルーツラムトニック、など、あらゆるフルーツを使ったカクテルのベースとして抜群の相性を発揮する。

    • BACARDÍ Superior バカルディ ゴールド

    バカルディ スペリオールと同じく、ドン・ファンクンド・バカルディ・マッソによって開発されたゴールドラム。2年~3年オーク樽熟成したバカルディ・ラム原酒をブレンド。バカルディ スペリオールよりも熟成の長さを感じさせるほどリッチで、厚みがある。通常の熟成ラムよりもライトなボディで、スムースなテイスト。オリジナルのキューバ リブレのレシピに使用。コーラ割りはもちろん、ホットカクテルやストレート、オンザロックにも最適。他の製菓材としても適している。

    • BACARDÍ 8 バカルディ エイト

    ドン・ファンクンド・バカルディ・マッソが家族のためだけに考えた特別なバカルディ・ラムFamily Reserveのレシピを再現。シリーズの中で最も洗練されて複雑味のあるバカルディ・ラム。アメリカンオーク樽で8年以上熟成した2種類のバカルディ原酒をバランスよくブレンド。バニラやナツメグ、ジンジャーやドライアプリコットのようなアロマを感じる、甘味のあるフレーバー。ストレートかオンザロックで葉巻と共に楽しみたい。また、ウィスキーやコニャックを使うカクテルのベースとしても人気。

SIGNATURE COCKTAILS

  • MOJITO モヒート

    1586年海賊団の一人リチャード・ドレイクによって現地の人々(キューバ人)に伝えられたモヒートの原型になるドリンクDraque(ドラケ)を、19世紀後半キューバ国内で人気だったバカルディをベースに新テイストの「ドラケ」が飲まれるようになった。その洗練された爽やかな味わいから、アフリカのブードゥー語の“mojito”(魔法をかける、虜にする、の意)にちなんで、「MOJITO」と名付けられるようになった。

  • CUBA LIBRE キューバ リブレ

    1898年にスペインからの独立を勝ち取ったばかりのキューバにおいて、独立を助けるために戦った若いアメリカ兵たちが、バカルディラム(ゴールド)とコカコーラ社のコーラ、そしてライムをミックスしたのが始まり。1900年にはBacardi & Cokeが、アメリカ通信部隊のラッセル大尉によって「キューバリブレ」と呼ばれて以来、世界中で親しまれることとなった。

  • DAIQUIRI ダイキリ

    1898年キューバで働いていたアメリカ人鉱山技師ジェニングス・コックスは仕事の後に喉の乾きを癒すためにいろいろなカクテルを試していた。暑い夏のある日バカルディと少量の砂糖にライムを絞って加え、冷やして飲んだのがダイキリのはじまり。コックスはこのカクテルに自分が働いていた鉱山の名前を取り、ダイキリと名づけた。現在、海外ではストロベリーダイキリが主流となっている。

  • PINA COLADA ピニャ コラーダ

    1954年8月15日プルエトリコの有名なホテル、CaribeHilton Hotelのバーテンダー、ラモン・マレロ氏が、バカルディスペリオール、パイナップルジュース、ココナッツジュースをミックスすることで考案したカクテル。1878年には、同ホテルで誕生以来、300万杯ものピニャコラーダが注文されたことから、プエルトリコ政府によりThe National Drink of Puerto Ricoに指定された。